|
|
|
 |
毎年2月15日は、どんなに良く晴れた日であっても、小松寺がある地区では、必ずひとときの雨が降るといわれています。
小松寺は、養老2年(718年)に創建されましたが、その後、火災に見舞われてしまい、しばらく廃墟のままとなっていました。
そして、延喜20年(920年)に、国司安房守住吉朝臣小松民部正壽(こくしあわのかみこまつみんぶまさかず)によって再建されました。翌年の延喜21年(921年)2月15日、小松寺が立派に再建されたお祝いに、慶賀の式典が盛大に行われました。安房守の嫡男〔あととり・長男〕である千代若丸(ちよわかまる)も、従臣乙王(じゅうしんおとおう)を従えて式典に参加され、慶賀の稚児舞〔十三歳未満の子供の舞〕を奉納いたしました。
すると、突然殿堂が激しく揺れ、ひとつの怪物が現れたのです。千代若丸を引っつかむと、天空高く舞い上がり、遥か遠く北方の地に去ってしまいました。安房守の家臣、五十嵐左衛門という者が「これは伊予ヶ岳の天狗の仕業に違いない!」と素早く馬を飛ばして伊予ヶ岳に至ります。しかし、ここに空しく千代若丸の死体を発見しました。乙王は千代若丸の死を嘆き、大きな悲しみと自らの責任を痛感するあまり、小松寺山の東北にある滝に身を投げ後を追ったのでした。
「晴天の雨」にはこのような悲しい伝説があり、2月15日の雨は、千代若丸と乙王を偲ぶ涙雨ではないかといわれています。
小松地区の人々は、昭和の初期頃まで2月15日は仕事を休め、ごちそうを作りお参りをしたということです。
 |
写真/伊予ヶ岳
富山町にある標高337mの山
|
千代若丸の父君安房守は二人の死を痛く悲しみ、千代若丸のなきがらをそこに埋葬すると、伊予ヶ岳の麓にあるお寺を立派に建て直しました。寺院には、法華経の書千巻と釈迦・弥勒(みろく)・薬師・虚空蔵(こくうぞう)・不動の五尊の仏像を納めて「二人の御霊安かれ」と祈りました。その後、このお寺の名も「経栄山
正寿院 住吉寺(きょうえいざん しょうじゅいん じゅうきちじ)」と改称されました。
当時の仏像三体は、現在も正寿院の本堂に安置されており、境内には‘千代若丸の経塚’があります。
伝説に登場する「千代若丸」や「乙王」は実在した人物であり、小松寺にはその証である‘千代若丸の為に’と記された梵鐘や、乙王の墓が存在します。天狗による悪行や、なぜ幼い千代若丸が連れ去られてしまったのかなど、現代では想像することの難しい多くの謎が残る伝説です。天狗というと怖いイメージを描いてしまいがちですが、山神として人々から崇められている天狗もいます。「晴天の雨」の出来事があったことで、ときのご住職は天狗の悪行を鎮めるため小松寺山に「飯綱権現」を勧請し法要をおこないました。小松寺には「天狗の間」があり、現在も香が焚かれています。その後、小松寺山に棲む天狗により寺や周囲の山々は守られ、悪行をする天狗は近づかなくなったといわれています。千代若丸の死を嘆き、自らの責任を痛感した乙王の霊は、子ども達が健康でたくましく育つよう強い力を与えてくれるといいます。いつしか小松寺は、子どもの健やかな成長を願う参詣者がたくさん訪れるお寺となりました。
|
 |
|
|
|
|

|